君は納得のできない仕事を社会や組織のせいにして出来るのか

私は何事も、理由や理屈を考えてしまうので、
なぜこれをやるのか、とか、なぜこれが必要なのか。が、
分からないと気持ちが悪い。
みんながやるから。とか、言われたから。
とかで行動するのは嫌なのだ。
納得して自分の意志で行動したい。

ところが、そんな私でも世の中の空気に負けて、
訳も分からず、自分の意に反して「やらされる」ことがある。
21世紀になってずいぶん経つのに、用途も理由も曖昧なものを
巻き付けなきゃならない。

そう「ネクタイ」だ。

なんなのだ。こいつは。
毎度、私はこいつを巻くたびに、強い敗北感に襲われる。
「お前の理屈や正義感や行動倫理など、
社会の仕組みや道理の前では無力、無意味なのだ。」と、
頭を足で踏みつけられ、首輪をされているような気持ちになる。

私は常日頃、
世の中に必要とされなければ会社も私個人も存在意義などない。
と思っている。
だからこそ、必要とされるように自己研鑽に励むのだ。
世の中は甘くないのだ。

ところがこいつは、身に着ける意味も機能性も利便性もなく、
びらびらと垂れ下がっているだけだ。
の割に洋服の青山とかでも5000円くらいする。 
世の中に甘えまくっているのだ。
まさに「ひも」だ。

更に、腹の立つことに、こいつは付け手の技術を要する。
ほんの1~2cm、結ぶ場所や位置を間違えるとキュッとした際に、
後側のびらびらが長くなったりねじれたりして、一からやりなおし。
失敗を鑑み調整して、キュッとすると今度は前側が長くなりすぎて
ちんこ隠しみたいになって一からやり直し。という感じだ。
キュッとするまで分からないのも腹が立つし、
一からやり直さなきゃいけないのも腹が立つ。
仕方なく買ってやってるのにこっちの技量を試すとは。
そんな装飾品、ほかにあるだろうか。
ひものくせに。

んで、こいつに思い入れがないので、すぐ無くすのだ。
あー腹立つ。

と、思いながら、晴れやかな表情で賀詞交換会や新年会に出ています。

ということで、今年もよろしくお願いいたします。

積年の思いを吐露したせいで無駄な長文になってしまった。

↓写真は本文とは全く関係なく、昨年冬に一人で行った
清水寺の紅葉ライトアップ。ロマンチック過ぎる。

清水寺夜景